松田元×大下英治「世界の終わり」対談vol.1

松田元×大下英治「世界の終わり」対談
vol.1 vol.2 Vol.3

松田:大下先生、今日はよろしくお願いします。
大下:はい、よろしく。

松田:今回の対談は私が今立ち上げている『松田元チャンネル』の中で、「明日世界が終わったら」というテーマで、著名な方をお招きして対談する、というものなんです。私は大下先生のことを心の師だと思っているんです。それで今回は終末的なニュースが多い昨今、先生のお考えというのをお聞かせいただきたいな、と思っています。
大下:昔ね、テレビで、明日、死ぬんだったら今日最後に何を食べるかを色んな人に聞く、という番組があったんですよ。最後の晩餐だよね。それを観ながらね、「そうか、俺だったら何を食べるか」って考えたけどーー今日はなにするかだからね。それで世界は終わるんだよね? ってことは他の人も皆終わるってこと? もう後に残る人っていないわけ?

松田:そうです。もう全員、終わってしまうということですね。もう人類がいなくなってしまうという前提です。
大下:人類が、もしも人類が残っているんだったら、今後、その世界を生きていく人々に原稿を最後に書くのだけど。だれもいないとなると……何十年間ね、私をよく生かしていただいたと、ありがとうというメッセージを送りたいね。それは仏に送るのか、神に送るのか、分かりませんけれど。Thank you!と。

松田:ああ、素晴らしいですね!
大下:物書きだから、そんなメッセージを書いてこの世を終わります。

松田:物書きだから、ですか。なるほど。そういえば、先生は450冊も様々な著作をお出しになられて、私も大ファンなので色々読ませていただいている心の師の様な存在です。そんな先生にとっての心の師といいますか、一番想いを傾けた方というのはどんな方なのでしょうか?
大下:心の師……私はね、寝ても覚めてもね、仏典を読むんですよ。私にとって、本当の意味で先生と呼ぶ人はただ一人、親鸞先生なんですよ。毎日寝るときに必ず、「Thank you」という意味を含めて「南無阿弥陀仏」と唱え、朝起きてたら「おお、俺の命は、またあった、Thank you!」ってことで「南無阿弥陀仏」と唱えてスタートするんですよ。

松田:それはもう毎日の日課になっていらっしゃるんですか?
大下:はい、そうです

松田:親鸞先生を師と仰がれて、「南無阿弥陀仏」と毎日唱える理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?
大下:それはは、元々何で物書きになったかということにも繋がっているんです。小学校のね、二年か三年の時に、「俺は死んだらどうなるんだろう」と考えたんですよ。それで闇の中でね、俺が一人彷徨うのを想像したんです。「おかあちゃーん」って叫んで、兄弟もいましたから「あんちゃーん」とも言いながらね、俺一人だけがね、永久に暗闇をね、ぐるぐる彷徨うんですよ。それ考えたら恐ろしくてね。で、ノイローゼみたいになっちゃったんです。

松田:なるほど。
大下:夜は寝ながら泣いてましたよ。何で生まれちゃったんだろうと思ってね。ああ俺は全部全く俺という存在がね、消えてなくなるんだと思ったら、体の力が抜けちゃってね。兄貴が「お前どうしたんだ?」って言ってもさ、兄貴にはなかなかそういうこと言えなくてね、「いや、いいんだ、いいんだ」と言ってたのね。もし、こういうことを感じていなかったらね、私は物書きになってないんですよ。

松田:そんな幼少期の死生観があって物書きになられた、と? 非常に興味深いですね。
大下:私のね、親父は原爆で死にまして。実は私も原爆にあってるんですよ。原爆が上空で炸裂したときに、親父はその真下にいて死んだんですよ。私はずれた所にいたんです。もし、あれがね、ちょっとずれていたら、親父が生きてて私が死んでるんですよ。

松田:そうなんですか……。
大下:そういう運命だったのかな。運よく生き残ってね。だけど親父が死んだってことでね、私は中学校しか行けなかったんですよ。それでね、中学校だけでプロになれる世界は、っていうんで、最初は漫画家になろうと思ったんですよ。

松田:漫画家に!?
大下:雑誌の似顔絵コンクールで賞を獲ったりしてたんです。私は、「あ、そうか、漫画家ならね、高校行かなくてもなれるんだ」ということで漫画を描いてたんですよ。で、中学校2年の時にね、井上靖さんの、『氷壁』という小説に出会ったんです。そこに生沢朗という洋画家が、挿絵を描いてたんです。その挿絵が面白いから勉強のために見てたの。でもね、小説を読んでみたらら、「あ、小説の方が面白いじゃないか」と。

松田:なるほど、それで漫画家から物書きに方向転換を(笑)。
大下:「俺も井上靖のような小説家になろう」と。愚かというか、飛んじゃったんですな。

松田:いやいや、愚かだなんて、とんでもありませんよ。
大下:それで中学校卒業して、三菱の造船所にね、就職決まったんですよ。

松田:三菱に!
大下:で、その頃に、親戚の家に行ってね、本借りてきたの。それがね、太宰治って作家だったの。読んで見たら「選ばれてあることの恍惚と不安との二つ、我にあり」。そんなヴェルレーヌの言葉があって、そしてその次にね、「死のうと思っていた今年の正月、反物をもらった」と。「夏に着る着物であった」と。「夏までは生きていようと思った」という『晩年』っていう作品集なんですが。

松田:『晩年』読んだことあります。
大下:それを読んでね、井上靖っていうのはストーリーだけど、太宰治ってのは自分の心のね、魂の哀しみみたいな、ものを詠っているじゃないか。だから、ああ、俺はこれになろうって思っちゃったの。

松田:そうだったんですね。
大下:そして、図書館に行って、こういうの書く人たちはどういう学歴なのか、って調べたわけ。太宰治は東大仏文中退、芥川龍之介は東大英文、谷崎潤一郎は東大国文、川端康成は東大国文ね、井伏鱒二は早稲田の仏文中退。だから、私、作家の経歴皆言えるんですよ。

松田:全部調べたんですね(笑)。
大下:で、その時思っちゃった。ありゃりゃりゃりゃ、これは大変だ、と。中卒じゃだめだ、と思ったんだけど、僕はもう三菱の造船所に入って電気溶接工をやっていたわけ。思わず、光陰矢の如しって手帳に書いて。光の〝光陰〟と職工の〝工員〟を引っ掛けてね。自分はさ、職工だけしてね、人生終わっちまうのか、と。それはよくない。という思いがあって大学へ行き直すんです。

松田:それはすごい!
大下:(大学へ行ったのは)小さい頃からの私のテーマだった「死んだらどうなるんだろうか」というのもありましてね。私はずっと幟町教会という広島の教会に通っていたんです。ところがそこの牧師さんが、なんか言うことがしっくりいかないんですよ、奇跡みたいなことを言うから。それで私は、広島大学に入って、最初はフランス文学に入ったんです。カトリックの作家をやろうと思ってね。なぜ死ぬ、死んで生きている意味があるのか、というのをずっと問い直していた。いたんですけど、それから暫くしてキリスト教から離れるんです。で、その後に、今度は三十を過ぎて、親鸞さんに出会うんです。

松田:なるほど、そこで師と仰がれていると仰っていた親鸞に出会ったというわけですね。
大下:なぜ親鸞だったかというと、まぁ私も、ろくでもない、罪深いこともたくさんしているんですよ。特に女性関係なんかひどかったんですけど(笑)。

松田:いやいや。先生、おモテになられますから(笑)。
大下:それで、色々私という人間の愚かさというのに気付かされたから、そういう時、私にとって一番の先生として親鸞さんが現れてきたんですよ。

松田:人間の愚かさ……なるほど。
大下:『歎異抄』という本は親鸞さんの弟子が書いた本ですけどもね、だから、善だの悪だのをね、簡単に決めるな、と。如来が、天なる真理の如来が、〝悪〟と見たのならそれは悪と思えと、〝善〟と見たのならそれを善と思え、と。しかし、それぐらいに深くね、問い直して善とか悪とかというのをね、突きつめてはじめて判断しろ、と

松田:深く、深く突き詰めろ、と。
大下:浅く判断して、やれ良いだの悪いだのと決める。そういう愚かさ、馬鹿なことはやめなさい、ということですから、私は今ヤクザものも書いたり、(皇后陛下の)美智子さんも書いて、さまざまな人間たちを書くんですけれど。

松田:ヤクザから美智子様まで、その振り幅がすごい!
大下:そういう中でね、私はどんな尺度で書いているかと言ったら、例えば100mの木がありますね。100mの木があるってことは100mに対して地下にはね、恐らく200mぐらいーー。

松田:根っこがありますね。
大下:そう。根っこがが張っているのね。例えば1mしかない木にはね、やっぱり根っこは1mぐらいしかないんです。それで、私が思うに、根っことはコンプレックスなんです。成功者はね、上にはみ出します。しかし、私は成功者ほどね、実は栄光に包まれているんじゃなくて、成功者ほど地獄を抱いていると思っているんです。

松田:地獄……ですか。
大下:でも、はみ出しているものというのは下に、同じようにその何倍かのね、このコンプレックスみたいなものがある。魔性も含めたドロドロしたものが下にある。はみ出したから栄光を掴んだのではなくて、はみ出している人たちは、はみ出さざるを得なかった哀しみがある、と思うんです。

松田:なるほど。
大下:例えばヒットラーだったら、絵描きを目指して挫折した。良い悪いは別として。

松田:それは強いコンプレックスですもんね。
大下:そう、コンプレックスです。太宰治もそうものがありました。そういうドロドロした、はみ出さざるを得なかったエネルギーに私は興味がある。だから私が書いている人たちは、全く問題もない、文部省推薦のような人はほとんどいないんです。

松田:確かに虚実、清濁併せ持つの方が多い。
大下:作家を目指す人の塾があるんですよ。私はそこに呼ばれていくと最初に言うのはね、「人生っていうのは椅子のようなものですよ、皆さん。ぬくぬくとした良い椅子に座っていたらこの椅子が何だろう、と思わないで座り続けますよ、のんびりと」って。でもね、もし椅子の下に針金があったり、石があったら「これなんじゃろう、これなんじゃい、おかしいのう」って剥いでみるでしょ。

松田:もちろん、仰るとおりです。
大下:要するに「椅子は人生なんですよ」と。「皆さんも、幸せにぬくぬくするのが良いと思ったらだめ。コンプレックスが多いほど良いんですよ」と。

松田:コンプレックスは多いほどよい……なるほど。それが大下先生の創作の原動力でもあるわけですね。
大下:あとは人間は必ず滅びてゼロになるんだったら生きて何の意味があるのか、ということを考えた時に行き着いたことがあるの。『三人姉妹』とか『桜の園』と書いたチェーホフっていう人がいるの。

松田:チェーホフと言えばロシアの文豪ですね。
大下:その作品の中に『チェーホフの手帳』っていうのがあるんです。それは小さい手帳にアイデアや思ったことが書き留めてあったのを本にしたものなんだけど、その中にこういうことが書いてあるの。これが私を決定づけたんですよ。「君は死ぬのが怖いかい?」と。「じゃぁこういう風に考えてみよう」。「君は100年生きた。500年生きた。1000年生きた。今年で5000年目だよ」と。「もう生きてるのくたびれて死にたいよ、君は壁に頭をぶつける。それでも死ねない。首を吊る。それでも死ねない。君は永遠に生きているんだよ」。そして問いかけるんです。「死ぬのとどっち怖い?」って。それでね、私は気付いた。永遠が怖いんだって。永遠に生きている恐怖考えたら、人間はやっぱり、死んだ方が良いんだって。ただね、死んだ方が良いんだけれど、狂い咲きして、狂い死にしてやろう、と、思ったんですよ。

松田;狂い咲きして狂い死にですか!?
大下:そう。だから私はずっと狂いながら書いてるんですよ。そうやって生きて生きて燃え尽くす、ね。岡本太郎じゃないけど「爆発だ!」ってことです。

松田:なるほど。狂って燃やし尽くすように一心に生きていく。……私もそんなふうに生きてみたいなあ。

●次回、ITの巨人、孫正義の真実について大下英治が語ります! 乞うご期待!!

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大下英治
大下英治

昭和19年年生まれ。広島大学文学部仏文科卒業。大宅壮一のマスコミ塾に学び週刊文春の記者となり数々のスクープをものにする。文春記者時代に『小説電通』を発表し話題になる。月刊『文藝春秋』に発表した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が反響を呼び、岡田社長退陣のきっかけとなるなどそのルポルタージュはセンセーションを巻き起こした。昭和58年に週刊文春を離れ作家に。現在、政・財界、芸能小説まで幅広く手がけている。著書多数。近著は『挑戦 小池百合子伝』(河出書房新社)。


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