松田元×大下英治「世界の終わり」対談vol.2 「ITの巨人、孫正義の真実について」

松田元×大下英治「世界の終わり」対談
vol.1 vol.2

大下:さっき話したコンプレックス。あれは企業家にもあった方がいい、と思うのですよ。そういう意味では孫、孫正義さんなんかもそういう人だった。
松田:孫さん! 大下先生の『孫正義 起業の若き獅子』(現在『孫正義 起業のカリスマ』と改題し講談社+α文庫より発売中)は私のバイブルなんです! これを呼んで僕も企業家を志したんです。

大下:それは嬉しいね。で、私は孫さんとね、彼が29歳の時にある人の紹介で、初めて会ったんです。それでね、彼のことを80枚ぐらいの原稿にしたんです。で、まだ孫さんがそれほど書かれていない時でしたね。
松田:孫さんが29歳の頃だと、まだ駆け出しですよね。

大下:そうそう。だからね、当時はまだ孫さんだけじゃ小説にならないから、西和彦さんとね一緒にして書いたの。『東の孫、西のアスキー』って短編小説を。
松田:西さん! あのアスキーの!!

大下:その時にね、麹町で、孫さんに初めて会ったんですよ。確か、もうね、額が広くてね(笑)。
松田:その頃から(笑)。

大下:でもね、賢そうな顔をしてたの。それで、少年みたいな雰囲気もあって。まるで手塚治虫の漫画のロボットである、鉄腕アトムみたいな感じっていうのかな。どこか体をちょんと突いたらね、割れ目ができて電子の部品がバーンと、飛び出すんじゃないかって思ったよ(笑)。でもね、その時私は気づかなかった、後から気付いたの。孫さんはその時死ぬかもしれなかったんです。彼は当時、寿命はあと三年って言われていたんですよ。
松田:肝硬変だったんですよね、確かね。

大下:そうそう。で、本人はね、その時にもう危ないというのは、社員には言ってなかったんですよ。密かに病院に通ってた。でもね、それじゃ社長が務まらないわけです。
松田:社長を交代されたんですよね。

大下:大森さんという、セコムの副社長だった方を呼んで、その人を社長にして、会長になったの。
松田:病床に伏しているわけですからね。

大下:でも、病気のことは後から発表したんです。企業としてトップが病気っていうのは損ですからね。
松田:確かに……。でも、すごい覚悟があったんですね。

大下:そう。後に病気が良くなって「実は……」と発表したんですよ。でもね、孫さんは「あと三年の命」って宣告を受けて、この時、生きるか死ぬかをの瀬戸際を味わっているわけです。彼は子供の時も色々ありましたし……。
松田:虐められていたんですよね。

大下:「朝鮮人」って言って石を投げられたりね。私が孫さんを好きなのはね、そういうことをバネに変える力があるから。例えば、当時、孫さんがあちらに行ったときは、孫さんのあの”安本正義”と名乗っていたんです。
松田:はい。

大下:で、日本に帰ってきた時に”孫正義”で仕事を始めたんです。で、親戚の人がね、「正義、お前は世間を知らん」と。ね。まだまだ差別があるんだから、
松田:日本名の”安本”で行け、と。

大下:そうなの。でも本人はね、「いや、いい」。とね。「俺は”孫”という韓国名を名乗ることによってね、俺を拒否するものがいてもいい。それが100人のうち、49人いても。私は残り51人の、俺の力を認めてくれる方を選ぶ。俺はそういう51人を掴んでみせる」ということをね、孫さんは言ってたんです。
松田:なるほど。さすがですね。

大下:でもね、実を言うと私も孫さんがあれだけ化けるとは思わなかったですよ。もう会うたびにね、ドンドコドンドコと本当化けていく。で、ああ、今回はもうこれで終わったかな、と思うような、危機的状態があるんです。相撲で言うとね、もう俵に足が掛かってね、もう押されて出るかな、と思うとうっちゃったりしてね。
松田:大逆転!

大下:そしていつの間にか、土俵の中心に戻っている。
松田:うーん、凄いなあ。

大下:この孫さんていう人はね。あと、チャーミングなんですよ。
松田:そうですよね。すごく愛嬌がありますよね。

大下:うん、愛嬌がある。で、ある時ね、私にね、「大下さん見てよ」って、ビル・ゲイツのね、本を持って来るんだ。ビル・ゲイツの自伝をね、開いて、「見てよサイン!」って。サインがね、”孫よ、お前は俺と一緒だな、リスクテイカーだな”と書いてある。
松田:孫さんとビル・ゲイツ!

大下 リスクテイカーってのは”リスクを取って勝負にかかる”。日本語に訳すと”勝負師”ということなんだ。
松田:勝負師! 格好いいなぁ。

大下:ビル・ゲイツが、”俺と同じ”と書いているわけ。
松田:うーん、すごい!

大下:そのときは、まるで少年のような顔をしてね(笑)。「見てよ見てよ!」ってそれ見ながらね、可愛い人だなぁ、と思って。
松田:嬉しかったんでしょうね。

大下:そう言えば、ホリエモンがね、こう言ったことがあるんですよ。「大下さんね、ITの連中の情けないのはね、小金を儲けてね、儲けちゃうともうそれ以上のチャレンジをしない」と。で、「最後のリスクをなお背負って勝負し続けるのは孫正義だけだ」って。
松田:堀江さんもそう思っているんですね。

大下:孫さんは、Vodafoneを買って、携帯業界に参入したでしょう。
松田:はい、入りましたね。

大下:この携帯業界に入ったのは、彼の集大成ですよ。もし携帯に入っていなかったらね、なんぼソフトバンクの球団を持っていたってそれほど大衆と密着していないよね。
松田:仰る通りです。

大下:孫さんにはそういう凄さがあるんだけど、彼の凄さはそれだけじゃない。私、初期の孫さんに会っているんですけど、一つ面白いのはね、彼がまず発明家であったこと。
松田:発明!

大下:大学行ってね、毎日5分ずつ発明していたの。実は松下幸之助も発明家なんですよ。
松田:そうですね。

大下:松下さんは元々はね、ソケットを一つをね、一個しかないのに二股ソケットにしたら二つ引けるじゃないか、と。あとは自転車のね、こうなんか、ランプを発明したり。だから、孫さんは、”平成の松下幸之助”なんだって私は思うの。
松田:なるほど。

大下:実は、孫正義っていう人はね。だから普通の起業家とは違って、凄いアイデアを考えるでしょ。あれは元々、孫正義の原点というのは・発明家・なんですよ。それから彼、が考えたのは、これが孫さんらしいんですけど、発明にはパターンがあるはすだ、と。
松田:なるほど、なるほど。

大下:そしてそれで考えるわけ。まずは何かあったらね、丸いものを四角にして見せるとか、ね。反対にして見せるとか、ね。そして不自由なものは何が不自由なのか、不自由なものを満足させる物とかね。だからそれを考える。例えば、オルゴールの音が好き、これで朝目覚めてみたい、と思えば、オルゴールと目覚まし時計をくっつけるわけですよ。そのパターンを考えたらまたいくらでも発明ができた、と。ただ彼が面白いのは松下幸之助と一緒で、発明家というのは発明だけをするけれど、彼は発明品をビジネスに展開したね。
松田:しますもんね、ちゃんとね。

大下:あるとき、孫さんは自動翻訳ソフトを考えついたんです。ここからが彼のすごいところですけど、しかも考えついただけでなく、これは自分一人ではできない、と思ったら直ぐに、ノーベル賞をもらったような教授に掛け合って、やってくれ、と頼んじゃう。しかもその時に、成功報酬は幾らだと。ここにね、孫さんの面白さがあるわけね。やってください、ではなくて成功したらあなたがこれだけもらえますよ、と。そういうことをやって成功したんです。
松田:日本人ってのはお金の話って避けたがるところありますもんね。

大下:それでねもう一つ言うと、孫さんの面白さは、実は帝王学にあるんですよ。
松田:それは興味深いですね。

大下:お父さんはレストラン、パチンコ屋をやっていたわけね。その時ね、孫さんはね、「正義、今度ね、山小屋っていうレストラン、喫茶店みたいなものをやる」と言ったらね、孫さんがね、「じゃぁお父さん、山から石を持ってきて置くといいんじゃない、雰囲気出るんじゃない」と。「おお!正義、お前天才だな!」って。
松田:なるほど。

大下:で、「おい正義、これ値段どのぐらいにしたらいと思う?」「うん、これお父さんこのぐらい安くした方がいいよ」「おお、そうか。正義、お前天才だな!」と。だから彼は天才、という意味がわからん頃に既に、天才と言われて育ったんですよ
松田:天才、と言われて育つ。まさに帝王学ですね。すごいなあ。

大下:だけどこれはね、孫さんという人がね、役人の子だったらね、こうはなりませんよ。
松田:確かにそうですね。

大下:あるいは普通のサラリーマンの子でもない。なかなかいませんよ、小学生にしてどうお客を満足させるかなんて考えられるのは。
松田:どうやって客を呼び込むということまで考えている。

大下:そういうことを親が子どもに問いかける、それこそが帝王学なんです。なかなかこういう人を育てるっていうのはね、簡単にはできませんよ。
松田:確かに。

大下:で、もう一つ言うと、その親の賢さとして「お前天才だと思え」と褒めたこと。だから孫さんは、自分が天才として言われて育ってきた過程でね、社員に対しても、どうしたら士気が上がるか、そういうことはわかるようになったと思うんですよね。
松田:なるほど!

大下:あと孫さんのすごさは勝負師として並外れているところ。例えばね、ゲームソフトの黎明期に、良いゲームを出していたハドソンって会社があるの。
松田:いまでは有名なゲーム会社ですね。

大下:当時はまだそれほどでも無かったけど、その会社が北海道にあったんだけど、いきなり行って「扱わしてくれ」と。交渉して。それで、そのソフトをどこで売るかって言えば大阪の日本橋の上新電機ってところに行って、「いいソフトがあるから売らないか」って。
松田:さすがの行動力ですね。

大下:でも、その時点ではハドソンも上新電機もこの話に乗るかどうかはまだはっきりしてない。でも孫さんは「ハドソンは全部私に言って任せてくれてる」って上新電機でやって、「だからね、置かしてくれ」と。それでハドソンへ行って「上新電機が全部任せる」とね。
松田:「上新電機はOKと言ってくれている」と言い切っちゃうわけですね(笑)。

大下:そんなギリギリの交渉をしちゃう。
松田:ギリギリというかスレスレ(笑)。

大下:そう、スレスレ。スレスレでやる、このね、商売っ気がね(笑)。
松田:まさに勝負師感ですよね。

大下:そう、ここが上手いの。なんでこんな交渉が上手くいくかっていうと、孫さんの顔もいいから。今、写真なんか見るとまぁ少し、歳をとったなぁ、と思いますけれどね、まだ、昔はまだ少年のような顔してましたからね、だから爺殺しなんですよ。
松田:爺殺し!

大下:でもね、これ、起業家の人たちにね大切なことですよ。爺キラーなのは。
松田:なるほど。

大下:大体若く出るっていう人は相手にする人たちはみんな爺じゃない。
松田:先輩ばっかりですからね。

大下:歳が上ばかりでしょ、でね、このね、爺殺しが大切。会いに行って、若い人がものすごく熱っぽく、少年みたいに夢を語るんだけれど、「本当かいな、コイツ」と思うけどいつの間にか、その熱や激しさに言いくるめられちゃう。
松田:うーん、なるほど。

大下:これはね可愛さがあるから。孫さんはこれでのしあがった。人たらし、特に爺殺しでね。
松田:いやあ、僕もそうなってみたいものです(笑)

大下:もう少し、孫さんのことを話そうか。面白い話がまだあるから。
松田:ぜひ! 非常に興味深いので。

大下:野村から来た、北尾吉孝さんって人がいるの。その北尾さんは孫さんと一緒に仕事をしてたの。当時、孫さんはバブルが弾けた後にも関わらず物凄い、色々なものをね、M&Aを勧めてた。
松田:はい。

大下:ただM&Aをやるって早く勝負しないとダメなの。日本みたいに、持ち帰ってまず会社の会議にかけて……そんなことしたら決まらない。だって、みんな新しいことは大抵反対するし、会社のオーケーは取っても今度は協調融資で銀行団が文句を言う。石橋を叩いても渡らないのが銀行員だからね。
松田:それじゃM&Aできないですよね。

大下:まあこいつ等を相手にしていたらもう終わっちゃうわけ。
松田:勝負できないですもんね。

大下:それでさ、だけど、日本の企業文化から見ると、元々メインバンクっていうのがしっかりあってね、これを尊重しなきゃいけないじゃない。
松田:そうですね。

大下:それで何をしたかっていったらね、北尾さんがね、「メインバンクなんか止めちゃえ」と。ね。むしろこっちがコアバンク制というのを取って、こっちがこれとこれがいいの、こっちが選んでやっちゃえ!ということを考えた。
松田:面白いですね、それ!

大下:しかし、今ならともかく、当時ね、メインバンクをね、切るなんていうのはね正気の沙汰じゃない。
松田:普通考えられないし、リスク、相当高いですもんね。

大下:だからリスク、っていうよりは破滅に近い。そんなことを北尾さんがやる、と言い出した。でも、それはまだ完全決定ではなかったの。で、孫さんがアメリカから帰ったときに記者が押し掛けてきて「孫さん、コアバンク制を取ってやると決まったそうですね」と聞いたわけ。
松田:まだ孫さんは、正式決定してないわけですね。

大下:そう。それで孫さんは「ええー?!」って言って「あ、そうかい?「ちょっと待って、ちょっと待って、分った」と電話して「北やん、お前もう発表したのか」と。「はい、発表しました」と。「ああ、そうか、わかった。緊急会議を開け」と緊急会議を開く。重役たちも反対しましたよ、それは。
松田:いや、かなりのリスクですもんね。

大下:でも、孫さんは「よし分かった」と。「俺はやりますよ」と。その日、「北やん、今日は俺の車に乗せてお前を家まで運んでやる」と言って、車に乗せてこう言ったの。「北やん、俺はな何百億の金というよりはな、お前の一言、お前を取るからな」って言ったんだ。北尾さんは、その時涙が出たそうですよ。それと同時にね、「ああ、俺はこの孫さんより何歳か若いのになぁ、果たして俺が、孫さんの同じ歳にそういうセリフが吐けるだろうか」と言ってましたよ。
松田:凄いですね……。

大下:そういうところが、孫さんという人の、人間の魅力ね。
松田:本当に魅力的ですね。

大下:孫さんが要するに拡大する要素になったインターネットの会社を買った時もすごかった。
松田:Yahoo! JAPANですね。

大下:そうそう、Yahoo!。あれもラスベガスに別の会社を買い物に行ってたんですよ、M&Aのね。それが上手くいかなかった。ところが帰りにね、「おい、何か面白い会社ないか」って孫さんが言ったわけ。そうしたら、ね、「Yahoo!っていう会社が、あるそうです。大学院の生徒が二人でやっています」と聞いた。そうしたら「おお、そこに行く!」とすぐ飛んでね、そしてそこで、相手はジーパン履いているような奴なんだけど、そこで車座になってね、「おいお前たち、俺に、買わせてくれ」と。話を聞いてね、面白いと。
松田:ええええ(笑)。

大下:孫さんは「俺は買う、資本半分入れるよ」と。向こうもいきなりだから「いやいやそれは勘弁してくれ」と。「それじゃぁ30%でも入れさせてくれ」「さらにとにかく日本の権利だけくれ」というんで、パッと決めてね。
松田:はい。

大下:それで日本に帰ってね。孫さんには弟が居るでしょ?
松田:孫泰蔵さんですよね。

大下:その泰蔵さんに「お前たちに2カ月か、3カ月、やるからソフトを作れ」と。それで「分った」と。「お前、学生知っているだろ? 学生の友達だったら安上りだろうしな」と。東大の連中や慶応の連中を集めてね、でソフト作って。それがYahoo!の始まりね。
松田:まさに歴史ですね。

大下:あとあの犬の家族のCMの話もある。
松田:あの、ソフトバンクの携帯ですね。

大下:ソフトバンクね。Vodafone買って。その時に取材したんですが、CMは北大路欣也さんの声の白い犬でいきますって。そんなことをね例えばね、三菱だとかね、財閥系のところに行ってね、言ったりしたらね、「何言ってるか、お前」とね。
松田:お父さんが犬ですもんね(笑)。

大下:でも孫さんは柔軟ですよ。「ああ、そうか」と。「(携帯業界で)三位なんだからトップに出るためにはね、普通のことやっちゃ駄目ですよ」って。「そうか。分った」と。「な。その代わりお前ら失敗したら許さんから」と言いながらだけど。
松田:許さんから(笑)。

大下:それで「ようし、やってみい」と。
松田:男ですね! 格好いい!

大下:そしてやってさ、あのシリーズ、当たってるでしょう。
松田:当たってますね。まさに勝負師の感ですよね、もう。

大下 そう、柔軟さと勘ね。それで闘ってる。この間もイギリスの会社、買いましたよね。
松田:半導体のARMですね。買ってましたね。次の産業のパーツですよね、あれは本当に。

大下:そういう勘をね持ってるの。で、本人は途中でさ、60歳かなんかで引退するって言ってたんだ。でも私は初めから引退すると思ったことはないですよ。
松田:そうですよね。最前線でずっと闘ってますもんね。

●次回、孫正義をはじめ名だたる経営者たちと逢ってきた大下英治が彼らに共通する魅力とは何かを語ります! 乞うご期待!!

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大下英治
大下英治

昭和19年年生まれ。広島大学文学部仏文科卒業。大宅壮一のマスコミ塾に学び週刊文春の記者となり数々のスクープをものにする。文春記者時代に『小説電通』を発表し話題になる。月刊『文藝春秋』に発表した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が反響を呼び、岡田社長退陣のきっかけとなるなどそのルポルタージュはセンセーションを巻き起こした。昭和58年に週刊文春を離れ作家に。現在、政・財界、芸能小説まで幅広く手がけている。著書多数。近著は『挑戦 小池百合子伝』(河出書房新社)。


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